長年どれだけなでしこジャパンを引っ張ってきたかを示す数字に、W杯の舞台でたどり着いた。「62」。熊谷がキャプテンマークを巻いて先発した試合数だ。日本協会が確認できる試合で、準優勝した2015年カナダ大会などで主将を務めた宮間あやさんの最多に肩を並べた。
「あやさんはチームが勝つために、うまく回るために周りのことを考えながら、見えないところで動いていた。澤さんもだが、フォア・ザ・チーム(の姿勢)は学びしかなかった」。なでしこが初優勝した11年ドイツ大会は20歳で出場。世界一に上り詰める過程や、何気ない日常からも多くのことを吸収し、チームづくりに生かしてきた。
高倉前監督の下で17年、主将に任命された。選手の意見をうまく吸い上げ、監督と共有する。「頼れる存在」と池田監督の信頼は厚かった。
W杯での一戦一戦を通して、主将は「言い合えるチームが、すごくいい形でできている。みんなでつくったチーム。本当に誇りを持っている」。だからこそ、まだ戦いたかった。
試合後のピッチ。熊谷は選手一人一人をたたえた。「一緒に戦ってくれてありがとう、と一番に伝えたい」。晴れやかな表情で、そう語った。

















