2026年3月開館を目指す「苫小牧市民文化ホール」の着工が先月、同市旭町で始まったのを受け、市民会館前にある「勇払千人同心」像の行方に関心が集まっている。同ホール建設予定地から外れており、26年度中の市民会館解体後も現地に残る見通しだが、市民からは存在が忘れ去られないよう「歴史を生かすまちづくりを」と望む声が上がっている。
同像は、蝦夷地開拓と北方の防衛のため現在の東京都八王子市から勇払に入り、苫小牧の礎を築いた八王子千人同心の偉業を顕彰する碑。両市が姉妹都市を締結した1973年8月、勇払原野開拓記念碑として建立された。
やりを手にした千人同心、河西祐助の立像と、梅の赤子を抱く姿が、著名な彫刻家本郷新(故人)の手で制作された。正面には、若くして病没した梅への哀惜の情を詠んだ祐助の七言絶句「哭家人(かじんをなく)」が刻まれている。
勇武津資料館の武田正哉学芸員は「祐助、梅の写真はなく、本郷が逸話を調べて作り上げたもの。千人同心をたたえる姉妹都市の象徴の一つ」と貴重な価値に言及する。勇払開拓史跡公園内にある梅の墓前で供養の琵琶を演奏してきた苫小牧琵琶同好会会長の小林充さん(79)=元中野町=は「歴史を忘れないための像だと思う。新しいホールができても(像を)生かすことを考え、次世代につないでほしい」と語る。
苫小牧郷土文化研究会の斎野伊知郎会長(72)は「八王子市から知り合いが来たら必ず勇払とこの像の前には連れて行く。詳しい説明板などがあれば」と望む。歴史に関心を持つ柏木町の佐久間良一さん(73)は「像の存在を知らない人も多い」と指摘。姉妹都市50周年を迎えた今こそ、「(像を通して)自分のまちのことを知るべきでは」と話している。
市民会館の解体を巡っては、「市民会館」と書かれた門標はそのまま保存することが決まったが、苫小牧青年会議所がアルミを使って会館前に設置した「青年の樹」は老朽化のため取り壊す。市民ホール建設準備室は「取り壊される会館の中の部品や周囲の様子はデジタル化し、3Dデータとして残す」としている。
河西祐助と梅
八王子千人同心の本隊とは別に1800(寛政12)年、河西祐助と妻の梅は幼い息子を連れ勇払に入った。梅はその後、女の子を身ごもり、2人の子どもを育てながら暮らしていたが、関東とは異なる過酷な風土と食べ物も満足にない生活から病に侵され、2歳と5歳の子どもを残し25歳の若さで他界した。梅の死後、「若い女性がしくしく泣きながら『この子にお乳を飲ませてください』と戸をたたいて歩く」などのうわさが広がり、「夜泣き梅女」として語り伝えられている。
















