元日の大地震から5週間。能登半島一帯の報道が続く。土砂の中から行方不明者の遺体。がれき、ごみの量は通常の7年分。きのうの本紙には飼い主家族と帰省中に行方不明になっていた猫が姿を現した話題。そしてけさも目覚ましのように震度4の余震。まだ目は離せない。
4日の全国紙社会面の写真に反省させられた。13年前の東日本大震災の時、子どもたちが津波から避難した状態のままになっていた福島県の大熊町立大熊小学校が2~4日、児童らに開放された。教科書やノートが入ったまま机の上に置かれていた真っ赤なランドセルを手にした23歳の女性の写真。放射線量測定後、13年ぶりに帰宅したとか。忘れていた。
洪水や地震以外でも短期間に集団的な離別や関係消滅の決断を迫られることがある。北海道なら炭坑の閉山もその一つか。10代の中盤、育った町の小さな炭坑と卒業した小学校が、ほんの数カ月で炭住(炭坑住宅)や細い鉄路などすべて消えた経験がある。幼なじみは他の産炭地や札幌、苫小牧に転出した。連絡先を教え合う時間もなかった。それでも同級生たちの笑顔や姓と名は、今でも記憶の底に残ったままだ。突然手放したものの重みは、何十年たっても消えないものらしい。つらくても、報道を見続ける。(水)
















