苫小牧市が本道有数の産業、港湾都市として着実に発展を遂げ、人口も右肩上がりだった1987年から4期16年間にわたり市長を務めた鳥越忠行さんの訃報。元町の綱元の次男として生まれ、市職員や市議を経て市長に就き、強力なリーダーシップを発揮した市政功労者に対し、各方面から「苫小牧にはなくてはならない人だった」と惜しむ声が相次いでいる。
立憲民主党苫小牧支部代表の沖田清志道議は22日朝、訃報に接し「ただただ、残念」と言葉を失った。共に市職労出身で沖田道議は1999年の市議初当選時、鳥越さんは市長で政治の師という間柄。「口調は強いけど、いつも気に掛けてくれる優しく照れ屋な方だった」と懐かしむ。鳥越さんとは年始あいさつで顔を合わせたのが最後。「自宅でお会いし、口調はいつもと変わらなかった。常に将来を見据えて市政運営をされていた」と振り返った。
鳥越さんとは市職員時代からの付き合いという元道議沖田龍児さん(79)は、千歳川放水路計画など国の政策に対しても強い信念の下、毅然とした姿勢で臨んでいたことに触れ「国への要望活動で冷遇される状況も見た」と回顧。「言葉遣いが乱暴になることもあったが、温情味のある人だった」と述べた。
市民グループ「非核平和都市条例」を考える会代表の斉藤けい子さん(77)は2002年の市非核平和都市条例制定について「鳥越さんがいなかったら、道内初の平和条例は実現していなかった」と強調。市長を退いた後も平和集会に参加するなど「国の言いなりではなく、地方自治を大事にしてくれた市長。市民が政治に関わる大切さも教えてもらった」と感謝する。
22日開会の市議会にも衝撃が広がった。岩倉博文市長は「4期16年にわたり、苫小牧の成長期を支えていただいた。苦労したこともあったと思うが、心からお悔やみ申しあげます」とコメント。市議会会派の民主クラブの小山征三代表は「非核平和都市条例の制定の他にも、苫小牧駅前の無電柱化など功績が多い。まだまだ元気でいてほしかった」としのんだ。
















