僕は、生まれて一度も食べ物に困った事がない。家にいればお母さんがご飯を作ってくれるし、学校では栄養バランスの考えられたおいしい給食を食べる事ができる。食べ物に困ることは一切なく、むしろ余るくらいだ。
しかし世界には、食べ物が少ししか食べられない国がある。アフリカ大陸中央に位置する南スーダンという国は何年もの間、内戦状態が続いている。そのため、人口の六割が食糧不足となっているそうだ。一日の食事が学校の給食だけという子供達がいる事を知ってとても驚いた。それもお皿一つだけ。栄養が全然足りていない。しかし、南スーダンの子供達は明るく元気に一生懸命勉強をしていた。給食を食べるために、早起きして登校する子供もいる。南スーダンの子供達は、一日一日の給食をとても楽しみにしており、給食のおかげで勉強ができると感謝しているそうだ。
そういえば、小学生の時の担任の先生が、給食の時間の「いただきます」の前に、「食べ物に感謝をしましょう」と必ず言っていた。それは、食べられる事のありがたさや、食べ物を大切にする事をぼくたちに伝えたかったのではないか。
ぼくには、心に残る一冊の本がある。大野正人さんの「命はどうしてたいせつなの?」という本だ。命をもらって食べる、これが生きるということ。肉や魚など、人はたくさんの命をもらって生きている。大昔の人は、狩りや採集など苦労をして食べ物を得ていた。しかし、時代は進み、多くの人が自分の手で命を取り上げなくても、食べる事ができるようになった。だからこそ人は、命をもらって生きていることを、忘れやすくなったのかもしれない。命をもらっている、だから、その命に感謝をしなければならない。それを表す言葉が「いただきます」なのだ。いつも、何気なく口にしている言葉だが、実は自分を大きくしてくれる命にむけた、感謝の言葉。これを何年も続けていれば、きっと命をもらって生きている事が分かるだろう。
給食は、ある意味一つの授業だと僕は思う。命をもらっている事、その命を食べられる事への感謝を、クラス全員が再認識する場なのではないか。たくさんの命をもらって大きくなった自分の命だからこそ、大切にしなければならない。自分の命を大切に思えば、周りの人の命だって大事だと思える。おいしい給食を食べながら、みんながそんな事を感じられたら、自分と相手とを尊重し、おたがいに助け合える事のできるクラスになるのではないか。
今日も、待ちに待った給食の時間がやって来た。はやる気持ちを抑え、まずは目の前の給食へ感謝の気持ちを込めて大きな声で言いたい。
「いただきます!」
















