「みなさん、家族や友人と話す何気ない会話の中で、『普通』というワードを発することはよくありますよね?」
例えば、テストの話題で「点数どのくらいだった?」と訊かれ、「普通だった」と、少なくとも私はそう答えてしまいます。
では、なぜ私たちは「普通」という個人個人で違う感覚のワードを使うのでしょうか?そもそも「普通」って何を基準にして何を意味しているのでしょうか?深掘りしていくほど頭が混乱してしまいます。
おそらくほとんどの人が悩んだことがあるでしょう。野球では「普通に投げろ」と、勉強では「普通に考えろ」など、他人に普通を押しつけられて、アドバイスや指示をされたと思っても、うまく物事が捗らなく、余計に思い悩んでしまいます。それはそのはず、元々『普通』などという概念は存在しないのです。なぜなら、自分がやりたいことを成し遂げたのに「普通の人生だ」という人が多いです。自分はそのような人たちがいる時点で「普通」などは存在しないと確信しました。
辞書を開いて調べてください。各々で記載されている内容は異なると思いますが、自分の辞書には「どこにでもあるような、ありふれたもの又はこと」と記されていました。お母さんが力を振り絞って、死ぬ気で産んでくれて、幼稚園に入り友達もたくさんできて、小学校に入り、中学校に入り、そこから高校に行き、就職した人もいるでしょう。そしてそれからも色々な出来事があって大変な思いを何百回もすると思います。そのような自分が主人公の人生において『普通』などという幻想のワードでは言い表せません。これは人生という大きな事柄ですが、恋愛も同じです。
「普通の恋愛」と聞いて何を思い浮かべますか?自分は好きな子ができて、思い切って告白して、彼氏彼女の関係になれて、でもうまくいかないことだってあります。別れてしまったけど、その別れから何か学べることがあり、それを繰り返し運命の人と結婚して幸せな時を過ごす。これが自分の想像する恋愛です。
しかし、同時にこれは、自分の理想とする恋愛でもあるのです。経験者なら分かると思います。特に片思い中の時などは、相手が自分のことをどう思っているのか考えるだけで、ドキドキや不安でいっぱいです。その人と想いが通じ合えたときの気持ちといったら嬉しさとよく分からない感情のごちゃ混ぜだと思います。そのような気持ちの変遷が激しかった一生の思い出を「普通の恋愛」などとはいえません。一つ一つに物語があります。「普通の人生」も「普通の恋愛」もありません。それならば一体『普通』とは何者なのでしょうか?
自分としては『普通』などという熟語はあってほしくないのですが、おそらく『普通』という熟語はすべての人の理想や印象を総合的にまとめられた言葉だと思います。自分の価値観では物事に見当をつけられないから『普通』というワードを使うと思うのです。自分にも価値観があるように全世界全人類に価値観は存在します。そこを理解せずに『普通』という熟語を使うから混乱を招いてしまうと思います。
私たちはこれから『普通』とどう向き合っていくべきなのか。それはたくさんの人と出会い、たくさんの価値観を深く理解し、最終的な到達点は己の価値観を知ること。自分はそう感じています。これからの自分の人生が楽しみです。
















