父の葬儀を創業の地「静内」で執行した。何の迷いもなかったが、はたと考え込んでしまったことがある。「最寄りの駅が見当たらない。会場までどう行ったらいいの?」――。全国からこんな声が相次いだのだ。九州や関西の取引先に冬場のレンタカーを強いるのは、ということで、新千歳空港や札幌からチャーターバスを出すことに。2日間で遠路1200人ものご会葬をいただき心から感謝しつつも、わが町「静内」が日高本線のなし崩し的な廃線によって「地図から消えた」現実を、改めて思い知らされた。
子供の頃の国鉄は、冬にこそ頼りになる存在だった。「ぽっぽや」の気概など今は昔。大雪となると一等先に止まる交通機関に変わり果てた。先月は森町でJR貨物の脱線事故が起こった。レールの著しい腐食だという。氷山の一角でないことを祈るばかり。
経営陣を責めるつもりは毛頭ない。国鉄分割民営化で生まれ落ちた瞬間からJR北海道は抱えきれないほどの重い十字架を背負っているからだ。膨大な維持コストを迫られる積雪寒冷地の長大な線路(下部)に、割に合わない貧弱な旅客市場(上部)がちょこんと乗っかっている。北海道という「島」の物理的な枠だけに従い、多少の運用基金を手土産に上下一体で切り離されたこんな構造を抱えて、一体誰がまともに経営できようか。経営の問題とはいえない構造の問題は、構造を改めない限り、解決はしない。
フランス国鉄SNCFは、鉄道インフラを別組織(Réseau Ferré de France)で管理し、列車運行に専念することで経営効率を高めた。線路を公共財として国や地方自治体が保有・管理するモデルに最低限切り替えない限り、北海道の鉄路の衰退はさらに加速度を増すだろう。50年前、道内の鉄路は総延長4000キロに及んだ。いまや2300キロを割り込み、この先も下げ止まる気配すらない。
需要がないのだから、という言い訳は浅慮の極みだ。なぜなら鉄路には、鉄路でしか大量に運べない死活的に重要な物資の輸送責任があるからだ。答えは「戦車」。つまり鉄路とは、敵に上陸を許した際、国土奪還のために当該地の近隣まで大量の戦車を平床車両で輸送するための防衛インフラと言っても過言ではない。
飛び道具で一時的に勝っても、最後は伝統的な陸戦による領土の確保が戦の帰趨(すう)を決めることを、ウクライナは思い出させてくれた。北海道の鉄路がズタズタになっていくことは、いざというときの防衛態勢がまるで取れなくなることを意味する。
千歳の空港が軍民併用の防衛施設であるように、北海道の鉄路も国の防衛施設として捉え直し、平時はJRに使わせているという発想に立てないか。何なら切れ目のない海防の観点からミッシングリンクを改めて整備し直し、道内をぐるっと一周できるようにしたらいい。観光列車としてJR北海道の大ヒット商品になること間違いなしだ。
元寇のとき、神風は吹いたのではない。鎌倉の武士団がモンゴル軍の上陸を、瀬戸際で食い止め続けたからこそ、台風が発生してくれた、それが真相だ。モンゴルの継承国家であるロシアに三方囲まれる北海道。海防は自存自立の一丁目一番地である。
(會澤高圧コンクリート社長)
















